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師匠を訪ねて・2

店長です。

この夏のお盆前かな、東京の弟から連絡が来ました。

「銀座マツナガ本店が9月10日閉店するそうです。」

マジか・・・

銀座マツナガとは、俺の修行した理容室です。

妻、栄も、俺達吉澤三兄弟、従妹二人もこの店で修行しました。

六年、たった六年しか働いていないのに、
充実して、苦楽を過ごした東京修行時代は一生消えないいい思い出です。

鼻高々で新潟に帰って来て、
実家で仕事をし始めて、
新たな難しさに、鼻をへし折られた・・・

もう三十二年、早いなあ。

思い出いっぱいの店がもう無くなる。

寂しいけど、歴史の1ページが終わる。

オーナー社長は新潟出身で、
家の先代の父母も修行時代一緒に勉強した仲だそうで、
父母の勧めもあって、就職を決めました。
銀座の一等地に店を構え、支店展開していた事で、
新潟からも毎年多くの従業員が就職していました。

オーナー社長始め、専務、幹部役員の方々の支店にも勤務していたので、
みんな師匠です。

コロナ禍にその専務が一人亡くなって、葬儀も無かったので、
三月には成田まで、お参りに行って来ました。

「三人の師匠を訪ねて」

https://yoshizawa-c.com/?m=20240331

五月にはそのお二人と社長が新潟に所用で来ていて、
社長も急に来られて、
三人に新潟でお会いする機会も有りました。

任務時代は数店舗を転勤で、タイプの違う各支店を経験し、
最後は一店舗を店長として責任有る経験をさせていただきました。

一番長く勤務したのが、本店銀座店。

その店が開業後56年目で、店舗、ビルの老朽化で閉店するそうです。

新幹線はいいね!
朝からビール♪

未だに新幹線に乗ると、あの音楽アナウンスを聞くのが嫌いでうす。
里帰りして、また東京へ仕事に戻る気持ちが蘇る

同じく、この銀座本店で修行した同郷のOB達と、
思い出の店を観に、社長夫妻を訪ねに、
東京銀座ツアーを組みました。

必死で働いた、思い出の店を目に焼き付けようと、
訪ねて観ました。

この店が出来て、操業56年だそうです。

俺が今57歳、銀座店とほぼ同じ歳。

社長は俺の死んだ父の一歳年下。

まだ現役で、残る他店で仕事をするそうです。

必死で働いた、思い出の店を目に焼き付けようと、
訪ねて観ました。

銀座二丁目中央通りに面した、
狭い地下の階段を下りて行く店。

ここを通ると思い出す、これから仕事行く気持ち!

社長「清の写真を今でも店の入り口に貼って有るんだよ!」

なんと、店の入口に今も俺の写真が貼って有ると。マジか!

三十数年前に、会社のパンフレットを作る時に撮影されたものです。

退社して三十二年、この男が本店の入り口を守っていた、良い男です!(笑)

あー
また泣きそう・・・

銀座の中心の古いビルの店、
決して広いとは言えません。

この店の客席8席、一日で最高99人のお客様をこなしました。
この待合席でも、パーマ巻きました。

五席の反対側の三席。6,7,8
引っ越し準備されています。

狭いスタッフ控室、トイレ、

洗濯場もそのままで懐かしい。

現在スタッフはみんな20~30代で若い。

若いスタッフと若いお客様の合間で、

その中で社長一人80代。

何十年ものお得意様を大事にしていました。

師匠です。

店の営業後は毎日練習。

夕飯は近くの店にサッと食べに行く毎日。

そうだ!
よく食べた餃子の名店、天龍に行ってみよう!

時々テレビに紹介されるほど、美味しい有名店です。

銀座 天龍

http://www.tenryu-ginza.jp/

昭和24操業の75年だそうです。

銀座マツナガは56年、

ヨシザワは84年です。

昔の記憶を頼って行ってみると、
あの路面店の面影なく、新しいビルの三階のキレイな店になっていました。

そうそう!
この看板、懐かしい。

当時を知るスタッフが一人だけいらっしゃって、
「マツナガさんのスタッフですか?」
と、即答。
懐かしい話で盛り上がりました。

当時ご指名頂いた社長の息子さん、今は経営専務だと伺い、
居ませんでしたが、お会いしても覚えてないでしょう。

そんな人が食べに来たと、お伝えください。

そう伝え、餃子ライスを懐かしむ。

このジャンボ餃子です。

美味い! さすが!

銀座マツナガ特典!
杏仁豆腐のサービスを頂きました。

夜には、マツナガ社長と奥様と夕食を。

寮暮らしで、料理なんてしないので、
会議、ミーティング、の度に、ご自宅でご飯をよく食べさせてもらったものです。

そこで見せてくれた昔の写真。

昔話が止まらない。

「栄ちゃん今月誕生日でしょ!
おめでとう!」

そんなことまで、下調べしてくれた。
サプライズまで仕込んでくれて。

父が死に、母は施設で過ごし、
妻の両親も亡くなって、
松永夫妻も成田の越村夫妻も、師匠であり、親代わりみたいなもの。

有りがたいです。

話が尽きない。

その後は、後輩たちの待つ二次会へ。

盛り上がって、銀座マツナガの歴史までさかのぼり、

ドイツ支店まで電話したり。

働いた世代も重ならない先輩なのに、
とても楽しませてくれました。

立派な後輩達です。

同じころ、他のOBグループも新潟や他県から集まり、
やはり本店を目に焼き付けに来ていたそうです。

折角のお江戸一泊の旅なので、
時間を作って観光もしようって事で、

朝から築地へ朝食食べに行ったり、

初めてのはとバスツアーも体験です。

この日の気温32度!

しかし中々、これも面白い。

都内の道は、自分で運転したくないですから。

銀座勤めで、東京駅は八重洲口の利用ばかりでした。

改めて丸の内側のタイルの東京駅を眺めると、
これも風情があります。

上野の国立科学博物館にも、初めて行きました。

コロナ禍に経営難でクラウドファンディングされてニュースになりました。

行って観たかったところです。

さすが国立!

凄い迫力で、楽しめました。

国立科学博物館

https://www.kahaku.go.jp/

俺にとって銀座は、楽しい街と言うよりは、
働く街です。

この度の、店の閉店を切っ掛けに、
久しぶりに訪ねて良かった。

楽しかったなあ。

未だに夢に観る東京、銀座マツナガ時代。

先輩、後輩の姿。

沢山教えて頂き、経験させてもらいました。

育てて頂いたご恩は返しきれません。

このご恩は、後世、次の世代に俺が送ります。

「恩返しは、恩送りへ。」

私の一生のテーマです。

また逢いに行こう!

店長 KIYOSHI

 

 

 

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