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2024 年 9 月 のアーカイブ

青春時代

2週間後、フルマラソンに挑戦する2●歳のブログです。

このブログネタ・・・今年一番書きたかったブログネタです。(笑)

最後までご覧ください。

 

まずですね 2●歳と表記した理由は プライバシーの保護もありますが

よく20代前半に間違えられるからです。  私 20代後半です・・・

それはいいんですよ、はい。

25歳付近になると周りの友人が結婚!?なんておめでたい報告よく耳にすると思います。

近年はSNSで友人の結婚を知ったということも全然ありますよね。

 

そう、今回のブログテーマは「友人の結婚式です」

 

近年 少人数のコンパクトな結婚式や家族・夫婦のみの結婚式、また写真だけでも

記念に残したいからフォトウエディングなど 昔と比較するとだいぶ変化してきています。

今年4月・9月   二人の友人の結婚式に招待して頂きました。

 

 

 

 

実は 「私達 幼馴染なんです。」

コンパクトな結婚式を挙げる時に特に悩むのが友人枠の招待なのでは?と

個人的に思っております。実際昨年の4月に自分の結婚式の際も悩みました。

その中でもすぐに名前が出てきたのが 幼馴染の存在でした。

私たちは同じ町で、同じ幼稚園で、同じ小学校中学校、高校まで15年間一緒でした。

 

 

今年4月 新潟万代式場 で挙式を挙げた幼馴染。

この友人は 腐れ縁でしょう。実家が二軒となりです。

高校卒業後の進学では 道は違えど新潟へ。

就職で一旦離れるも まさかのお互い結婚相手が新潟出身。  そしてお互い新潟に住み始める・・・

今では一番近くにいる地元の友人であり 大事なお客様の一人です!

そんな彼の結婚式には「友人としてはもちろん スタイリストとして」 携わることができ嬉しかったです。

ヘアスタイリング・ちょっとしたヘアスタイルのお色直し・簡単なメンズメイク

彼の奥様にはブライダルシェービング 彼の母親にはカットとセットを

ヘアーサロンヨシザワを利用してくれたことに感謝いたします。

当日は誰よりも会場に近かったのでしっかり受付係もしました。

彼、お酒を飲むと良くも悪くも明るくなりすぎてしまう傾向があったので

心配してましたが  当日は立派な新郎の姿でした。

(エンディングムービーで涙でてきたのは内緒・・・)

   

 

 

今年9月 横浜みなとみらい式場 で挙式を挙げた幼馴染。

この友人は 三人の中ではずば抜けて頭がよく 某有名私立大学に進学しました。

ばかが付くほど根が真面目なんですが、少年の心をもった友人です。

「昨年の私の結婚式に参列して 結婚式を挙げたい!」 そう思ったと

聞いた時めちゃめちゃ嬉しかったです。

今年の1月1日 能登半島地震がありましたよね。

その時に彼 途中で足止めになってしまって。その時 自宅の場所を提供しました。

その時以来の再会でしたが、その時の助けがあってか 新婦のご両親にも認知されていたことに

驚きました。(笑)しっかり披露宴でお酒飲ませてもらい 見事に酔っぱらってたと思います。(笑)

新婚ですが、今年の1月から単身で関西に転勤になった関係で打ち合わせなど

大変だったと思いますが とても素敵な式でした!

(新郎入場で気づいたら涙でてたのは内緒・・・)

     

改めて招待してくれてありがとう!

二人の幼馴染をはじめ いい友人に出会えたなと感じた ≪青春時間≫でした。

 

吉澤幹也

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次回は「新潟シティマラソン ネタ」です。

※先日の結婚式にもランニンググッズを持っていき 朝から走りました(笑)

当日頑張ります・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2024 年 9 月 29 日 日曜日)

時が経つのは早いですね~

こんにちは!さかえです。

時が経つのは早いですね~

この9月でまた一つ歳を取りました。

気持ちだけは若いつもりですが、身体は正直です。

代謝は悪くなるし、健康診断の結果も正常値から少しずつ離れていってるし

ちっとも嬉しくないけど

「おめでとう~!」なんて言われると 照れちゃいます。

先日も思いがけないサプライズ!!

32年前に退社した理容室のオーナー夫妻にお祝いして頂きました

修行させてもらったのは6年 新潟に帰って来て32年 5倍以上の月日が流れました。

時が経つのは早いですね~

師匠は凄いです 今だ現役理容師です 83歳です

今でこそ歩く速度は普通ですが、(私の記憶では忍者のように機敏に動いていました。)

趣味の旅行や登山にも頻繫に行ってて

「知らない街や国に行き いろいろと観たり体験したり その時出会った人達の話しを聞く事は

人生を豊かにするよ! 今はもう歳だからそうそう行けないけど、

テレビで見たり人から聞いたりするのと 実際に経験したことをまた思い出して

もう一度幸せな気分になるんだよ~ 君達もたくさん出掛けなさい!」

っと言っていたので 9月13日の私の誕生日にお店を早めに抜けさせてもらい

初めて片貝花火を観てきました

良い思い出をありがとう~素敵な誕生日になりました!!

 

(2024 年 9 月 18 日 水曜日)

師匠を訪ねて・2

店長です。

この夏のお盆前かな、東京の弟から連絡が来ました。

「銀座マツナガ本店が9月10日閉店するそうです。」

マジか・・・

銀座マツナガとは、俺の修行した理容室です。

妻、栄も、俺達吉澤三兄弟、従妹二人もこの店で修行しました。

六年、たった六年しか働いていないのに、
充実して、苦楽を過ごした東京修行時代は一生消えないいい思い出です。

鼻高々で新潟に帰って来て、
実家で仕事をし始めて、
新たな難しさに、鼻をへし折られた・・・

もう三十二年、早いなあ。

思い出いっぱいの店がもう無くなる。

寂しいけど、歴史の1ページが終わる。

オーナー社長は新潟出身で、
家の先代の父母も修行時代一緒に勉強した仲だそうで、
父母の勧めもあって、就職を決めました。
銀座の一等地に店を構え、支店展開していた事で、
新潟からも毎年多くの従業員が就職していました。

オーナー社長始め、専務、幹部役員の方々の支店にも勤務していたので、
みんな師匠です。

コロナ禍にその専務が一人亡くなって、葬儀も無かったので、
三月には成田まで、お参りに行って来ました。

「三人の師匠を訪ねて」

https://yoshizawa-c.com/?m=20240331

五月にはそのお二人と社長が新潟に所用で来ていて、
社長も急に来られて、
三人に新潟でお会いする機会も有りました。

任務時代は数店舗を転勤で、タイプの違う各支店を経験し、
最後は一店舗を店長として責任有る経験をさせていただきました。

一番長く勤務したのが、本店銀座店。

その店が開業後56年目で、店舗、ビルの老朽化で閉店するそうです。

新幹線はいいね!
朝からビール♪

未だに新幹線に乗ると、あの音楽アナウンスを聞くのが嫌いでうす。
里帰りして、また東京へ仕事に戻る気持ちが蘇る

同じく、この銀座本店で修行した同郷のOB達と、
思い出の店を観に、社長夫妻を訪ねに、
東京銀座ツアーを組みました。

必死で働いた、思い出の店を目に焼き付けようと、
訪ねて観ました。

この店が出来て、操業56年だそうです。

俺が今57歳、銀座店とほぼ同じ歳。

社長は俺の死んだ父の一歳年下。

まだ現役で、残る他店で仕事をするそうです。

必死で働いた、思い出の店を目に焼き付けようと、
訪ねて観ました。

銀座二丁目中央通りに面した、
狭い地下の階段を下りて行く店。

ここを通ると思い出す、これから仕事行く気持ち!

社長「清の写真を今でも店の入り口に貼って有るんだよ!」

なんと、店の入口に今も俺の写真が貼って有ると。マジか!

三十数年前に、会社のパンフレットを作る時に撮影されたものです。

退社して三十二年、この男が本店の入り口を守っていた、良い男です!(笑)

あー
また泣きそう・・・

銀座の中心の古いビルの店、
決して広いとは言えません。

この店の客席8席、一日で最高99人のお客様をこなしました。
この待合席でも、パーマ巻きました。

五席の反対側の三席。6,7,8
引っ越し準備されています。

狭いスタッフ控室、トイレ、

洗濯場もそのままで懐かしい。

現在スタッフはみんな20~30代で若い。

若いスタッフと若いお客様の合間で、

その中で社長一人80代。

何十年ものお得意様を大事にしていました。

師匠です。

店の営業後は毎日練習。

夕飯は近くの店にサッと食べに行く毎日。

そうだ!
よく食べた餃子の名店、天龍に行ってみよう!

時々テレビに紹介されるほど、美味しい有名店です。

銀座 天龍

http://www.tenryu-ginza.jp/

昭和24操業の75年だそうです。

銀座マツナガは56年、

ヨシザワは84年です。

昔の記憶を頼って行ってみると、
あの路面店の面影なく、新しいビルの三階のキレイな店になっていました。

そうそう!
この看板、懐かしい。

当時を知るスタッフが一人だけいらっしゃって、
「マツナガさんのスタッフですか?」
と、即答。
懐かしい話で盛り上がりました。

当時ご指名頂いた社長の息子さん、今は経営専務だと伺い、
居ませんでしたが、お会いしても覚えてないでしょう。

そんな人が食べに来たと、お伝えください。

そう伝え、餃子ライスを懐かしむ。

このジャンボ餃子です。

美味い! さすが!

銀座マツナガ特典!
杏仁豆腐のサービスを頂きました。

夜には、マツナガ社長と奥様と夕食を。

寮暮らしで、料理なんてしないので、
会議、ミーティング、の度に、ご自宅でご飯をよく食べさせてもらったものです。

そこで見せてくれた昔の写真。

昔話が止まらない。

「栄ちゃん今月誕生日でしょ!
おめでとう!」

そんなことまで、下調べしてくれた。
サプライズまで仕込んでくれて。

父が死に、母は施設で過ごし、
妻の両親も亡くなって、
松永夫妻も成田の越村夫妻も、師匠であり、親代わりみたいなもの。

有りがたいです。

話が尽きない。

その後は、後輩たちの待つ二次会へ。

盛り上がって、銀座マツナガの歴史までさかのぼり、

ドイツ支店まで電話したり。

働いた世代も重ならない先輩なのに、
とても楽しませてくれました。

立派な後輩達です。

同じころ、他のOBグループも新潟や他県から集まり、
やはり本店を目に焼き付けに来ていたそうです。

折角のお江戸一泊の旅なので、
時間を作って観光もしようって事で、

朝から築地へ朝食食べに行ったり、

初めてのはとバスツアーも体験です。

この日の気温32度!

しかし中々、これも面白い。

都内の道は、自分で運転したくないですから。

銀座勤めで、東京駅は八重洲口の利用ばかりでした。

改めて丸の内側のタイルの東京駅を眺めると、
これも風情があります。

上野の国立科学博物館にも、初めて行きました。

コロナ禍に経営難でクラウドファンディングされてニュースになりました。

行って観たかったところです。

さすが国立!

凄い迫力で、楽しめました。

国立科学博物館

https://www.kahaku.go.jp/

俺にとって銀座は、楽しい街と言うよりは、
働く街です。

この度の、店の閉店を切っ掛けに、
久しぶりに訪ねて良かった。

楽しかったなあ。

未だに夢に観る東京、銀座マツナガ時代。

先輩、後輩の姿。

沢山教えて頂き、経験させてもらいました。

育てて頂いたご恩は返しきれません。

このご恩は、後世、次の世代に俺が送ります。

「恩返しは、恩送りへ。」

私の一生のテーマです。

また逢いに行こう!

店長 KIYOSHI

 

 

 

(2024 年 9 月 8 日 日曜日)

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